【教養】アーレント『人間の条件』読解✦公私の融解、偉大さの消失

「謳うべき勝利を その手で掴み取れ」

==========【関連動画】==========
ハンナ・アーレントの人生

シモーヌ・ヴェイユの人生(現代人の精神的虚無について)

【推し偉人】再生リスト

==========【目次】==========
00:00 – 序 なぜスローガンはシラケるのか?
02:15 – 第一章 古代ギリシャ人の精神世界
06:14 – 第二章 公的領域と私的領域
09:59 – 第三章 獣の時代
15:08 – おわりに

==========【文献案内】==========
ハンナ・アレント. (2023). 人間の条件 (牧野雅彦, Trans.). 講談社学術文庫.
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※この動画は上記の文献を参考にし、可能な限り事実を尊重するよう心掛けてはおりますが、物語としての文脈を優先して、エピソードの恣意的な選定や憶測・脚色が含まれています。包括的で正確な事実情報をお求めの向きには、文献を直接ご参照頂くことを推奨します。

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==========【素材】==========
– BGM:クラシック名曲サウンドライブラリー, URL = http://classical-sound.seesaa.net/
– SE: 効果音ラボ, URL = https://soundeffect-lab.info/
– SE: OtoLogic, URL= https://otologic.jp/

#本 #哲学 #偉人

3件のコメント

  1. 公的領域での活動を理想的な人間存在の在り方として捉えたアーレントを支持したいと思います。ですが、ポリス国家アテナイの市民活動を支えていた(肉体的な存続を陰で支えていた)奴隷の存在をどう捉えたらいいのでしょうか?当時のアテナイにおける市民権を有した18歳以上の男子は3~4万人。その家族を合わせて15万人。それに対して奴隷の数は8~10万人であったとか。スパルタにおいてはさらに奴隷数が多く発達していたそうですね。アテナイにおいて在留外国人(メトイコイ)として生涯を過ごしたアリストテレスは「政治学」の中に「ポリス市民が完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間であるから、市民が奴隷を所有することは当然のこと、、またそのような奴隷を獲得する戦争は、狩猟で獣をとらえるのと同じ行為だ」と言っています。4階級に分けられた市民よりも低いメトイコイという身分で過ごしたアリストテレスがこのように考えていたとすると、、当時の貴族・市民・メトイコイ・奴隷という身分格差の隔絶感は現代の人権感覚からすると途方もないものに強調されてくるように思います。
    アーレントがあるレベル理想的な公的領域での市民活動の形態をアテナイに求めたことは理解できますが、その肉体的な存続を支えた私的領域活動を支えた奴隷の存在を無視することは出来ませんね!
    しかし現代においてはポリス都市国家の中のような目に見える奴隷は存在していません。しかし、16世紀のボエシが「自発的隷従論」の中で指摘した奴隷が目には見えにくい形態で現代に巣くっていることが現代の公的スローガンに白けてしまう遠因なのでしょう!現代において古代ギリシャのポリス都市国家より以上の比率で奴隷は存在しています。

  2. 形而上学、精神性(哲学)の貧困が現実の貧困をも招くということでしょうか。同時代のヴェイユの主張にも似ている。『人間の条件』読み直してみます。

  3. 4:00の図はマズロー五段欲求の元になってるように感じました。心理学というより神話学の階層差別要素を現代風に当て嵌めたんちゃうんかと。進化論の影響も受けているでしょう。ただ代わりになる説は俺には何も思いつきません。ホームレスしてた時もその五段説に何の文句もありませんでした。
    アーレント一冊も読んでないので細かい話は出来ませんが各都市国家の氏神且つナショナリイズムの象徴であるオリンポスの神々に身を委ねるのもヒトラーの羊になるのも同じイメージがあります。ソクラテスみたいにダイモン教≒事実上何にも支配されず自分の意思を貫くなら別ですが。権威者の掲げるスローガンは大概権威者のエゴで国民と視点を共にはしないから国民がそれを虚しく感じるのは理想的な事であって、格別否定も悲観もする必要も無く、未来も元々無く、輝かなかった個々が輝いただけましじゃないかと。フランス革命以前の経済統計ははっきりしたものはありませんがその革命から大戦までの経済格差は今と比べ物にならないほど大きく(トマピケティのworlld inequality database)戦前の方が数と権利の独占が桁違いに酷かったです。今は貧国でも平均寿命が上昇し出生率は低下している事から、寿命=富裕度と見做せば、貧富格差は縮小し続けていると言えます。各国の中では拡大しているけど世界トップクラスの富豪と最貧国の奴隷クラスとの差は縮まっているのです。他国生活時に奴隷状態の人を直に見た事もあるし(出稼ぎ労働者が仕事が得られなくてオーバーステイして罰金を恐れて逃げ回っているのをヤクザに付け込まれて奴隷化)俺自身日当10円でコキ使われてた事もありますが、その女性奴隷は白昼堂々大通りで犯されてた訳でも無いし、ヤクザから脅され続けた恐怖心から袴田さんみたいな硬直した拘禁症を示してはいてもやはり人前で堂々と鞭打たれていた訳でもありません。その国はそれなりの先進国で、古代ギリシャも2千年前の先進国であり、両者をざっくり比較しても人権は上昇していると思います。死後に名を遺す業績を挙げられるだけの富と自由を持つ人(個より公を考えられる人)も、またそれを指向する人の割合も、現代の方が多いのではないでしょうか。
    権威者が掲げるスローガンは古今東西問わずほとんど権威者のためのものなのでそれを否定出来るのはほとんど良い事としか思いません。人権格差が大きかった時はそれを疑ったり否定する事も出来ませんでした。動画で言っている事と論点が一致してるかどうか自信ありませんが虚しいか虚しくないかは国民の主体性が込められているかどうかです。少なくとも日本人にとっては未来より今の社会での命を輝かせてくれって人が多いでしょう。少なくとも貧困層で貯金ゼロの俺はそうです。生涯平均年収100万円無くて最低限の数を持っていません。ここ5年で食費以外に使う金は年に一度の買い出し(大晦日に半額が大量に出るスーパー密集地へ行く)と免許更新くらいです。普段は電車一駅の運賃すらビビって払えないので徒歩圏内から出られません。日本に限れば過去の万博の謳い文句は
    1985年 科学万博 好景気だったため。
    2005年 愛地球博 環境問題が流行のテーマだったため。
    2025年 可処分所得は低下し続けているけど経済格差拡大の慢性化を受けて上位層が下位層をスルーする事が許されるようになったのとAI流行のため。
    この下位層スルーとはマイケルサンデル「実力も運のうち」で批判しているテクノクラシー、スマート化です。彼はスマートと言う言葉をインテリエリートが正に自分たちのために数を追うようなエゴの象徴として批判しています。下位層≒黒人の味方かのような喧伝をしたオバマ自身もスマートという単語を乱用しては「俺とお前ら貧乏低学歴黒人どもとは格が違うんだぞ」みたいな特権意識を振りまいていたと。未来があるのはスマート家電で家を埋め尽くせる金持ちだけです。ネガティブに捉え過ぎと言われそうですが去年のカマラハリスの敗因を見れば日本はそれを引きずってるようにしか思えないのです。虚しいのは公への意識が私への意識に留まったからでは無くて国内格差拡大が主因ではないかと。