【過去20年で半減。書店消滅のリアル】毎月30店減少か/作家と経営者の両輪/シェア型書店の手応え/黒字化への工夫/絵本と児童書が人気/粗利率22%の無理ゲー/地銀・電鉄系の貢献/最大手しか残らない未来
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今村翔吾|作家 書店経営者
関西大学文学部卒。2017年作家デビュー。『イクサガミ』シリーズがNetflix実写化『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』が漫画化・アニメ化されるなど、作品のメディア展開は多岐にわたる。22年「ホンミライ」を設立。23年佐賀市に「佐賀之書店」を新規出店。24年シェア型書店の「ほんまる」を東京・神保町に出店。
<参考書籍>
『書店再興 まちの本屋さんのゲームチェンジのために』
清野由美(著)日経BP(刊)
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<目次>
00:00 ダイジェスト
01:01 書店業界の厳しい現状
04:35 書店経営の実践と学び
12:35 書店ビジネスの課題と打開策
18:36 FC展開で目指す書店再興
26:31 作家兼経営者の壮大な野望
30:05 次回予告
#PIVOT #書店 #作家 #経営者 #経営 #イクサガミ #書店経営 #書店再興戦略 #FC #フランチャイズ #書店消滅 #出版不況 #今村翔吾 #ビジネスモデル #粗利率 #街の本屋 #イクサガミ #直木賞作家 #書店経営 #業界分析 #流通構造 #小売の限界 #文化の危機 #経済解説
1件のコメント
書店が減っているという話を聞くたびに、私は少しばかり所在のない気持ちになるのである。別に私は読書家ではない。本当に本が好きな人間なら、もっと立派な書斎を持ち、もっと難しい本を読み、もっと知的な会話をするだろう。しかし私はそうではない。買ったまま読まずに積んである本もあるし、最後まで読み通せなかった本も山ほどある。それでも書店という場所には、どうしても特別な感情を抱いてしまうのである。だから町から書店が消えたと聞くと、まるで昔お世話になった親戚の家が取り壊されたと聞いたような気持ちになる。別に毎日通っていたわけではない。最近は顔も出していなかった。それでも、なくなったと聞くと急に胸の奥がすうすうするのである。考えてみれば、書店というのは実に奇妙な商売だった。本を売る店である。しかし私の経験では、本を買うために入ることより、本を買わないために入ることのほうが多かった。若いころの私は金がなかった。本は欲しい。しかし財布には数百円しかない。だから書店へ行く。棚を眺める。新刊の帯を読む。興味のない本まで手に取る。結局なにも買わずに帰る。それでも書店は私を追い出さなかった。考えてみれば不思議である。八百屋で何も買わずに毎日野菜を眺めていたら嫌な顔をされるだろう。喫茶店で注文もせずに居座れば追い出されるだろう。しかし書店だけは違った。何も買わない人間にも居場所を与えてくれた。本に囲まれているだけで許された。私はその寛容さが好きだった。書店には独特の時間が流れていた。時計の針が少しだけ遅くなるような場所だった。目的の本を探していたはずなのに、気がつけばまったく別の棚の前にいる。歴史の本を探していたはずなのに、なぜか昆虫図鑑を開いている。文庫本を買いに来たはずなのに、気がつけば写真集を眺めている。そういう無駄が許される場所だった。いや、むしろ無駄こそが主役だったのかもしれない。私は思うのである。書店で手に入るもっとも価値のあるものは、本ではなかったのではないか、と。偶然だったのである。自分でも知らなかった興味との出会いだったのである。ところが現代は便利になった。本はスマートフォンで買える。検索すれば一瞬で見つかる。電子書籍なら数秒で読める。私はそれを否定する気はない。実際に利用している。夜中の二時に本が買えるというのは革命である。重い本を持ち歩かなくて済むのもありがたい。しかし便利さというものは、ときどき何かを連れ去る。欲しい本は見つかる。しかし欲しいと気づいていなかった本には出会えない。検索とは優秀な執事のようなものである。主人の望むものだけを正確に持って来る。しかし人生を変える本というのは、たいてい望んでいなかった本なのである。偶然棚にあった本。隣に置かれていた本。表紙が妙に気になった本。そういう本が人間を裏切るように人生へ入り込んで来る。私は若いころ、一冊の文庫本を偶然手に取ったことがある。買う予定などなかった。ただ背表紙の色が気になっただけだった。その本はその後何十年も私の頭の中に居座り続けた。もし検索だけの世界に生きていたら、その本には出会わなかっただろう。書店というのは、そういう人生の回り道を売る場所だったのである。書店が減る理由は分かる。本が売れない。人口が減る。家賃は高い。ネット通販は便利である。数字だけ見れば説明は終わる。実に合理的である。だからこそ反論が難しい。合理性というものはいつも正しい顔をしているからだ。町工場も消えた。銭湯も減った。個人経営の映画館も姿を消した。そして今度は書店である。時代は前へ進む。効率を求める。便利さを求める。その流れを止めることはできない。しかし私はときどき思うのである。人間は本当に効率だけで生きているのだろうか、と。書店の中を歩いているとき、人は少しだけ自由だった。何者でもない自分になれた。試験もない。成績もない。売上もない。ただ棚の間を歩くだけでよかった。知識の森を散歩するだけでよかった。その時間は、いま振り返ればひどく贅沢なものだったように思える。私は最近、地方の町へ行くことがある。そして駅前に書店を見つけると、なぜだか少し安心する。入店するわけではない。何も買わないことさえある。それでも看板が見えるだけでほっとするのである。たぶん書店とは本を売る店ではなかったのだ。その町が未来を信じている証拠だったのである。子供が漫画を買う。学生が参考書を探す。老人が歴史書を手に取る。若い夫婦が絵本を選ぶ。そういう風景があるだけで、その町にはまだ希望が残っているような気がする。本を読むという行為は、今より少し先の自分を信じる行為だからである。だから書店が減っているという話を聞くと、私は本屋が減っているとは思えない。もう少し別のものが減っているような気がするのである。偶然が減っている。寄り道が減っている。暇が減っている。知らないものと出会う機会が減っている。そして自分の世界が思いがけず広がる瞬間が減っている。もちろん書店はこれからも残るだろう。大型書店もある。個性的な独立系書店もある。しかし昔のように、どの駅前にも当たり前に存在する風景ではなくなるのかもしれない。それは仕方のないことなのだろう。時代は変わる。私もそれを知っている。それでも夜、シャッターの下りた古い書店の前を通ると、私はつい立ち止まってしまうのである。もう棚はない。雑誌もない。文庫本もない。しかし私には見える。立ち読みをする高校生がいる。漫画をねだる子供がいる。月刊誌を探す会社員がいる。文芸書の棚の前で腕組みをしている青年がいる。そういう人々の気配だけが、店の消えたあとにも薄く残っているような気がするのである。そして私は、その見えない本棚に向かって小さく会釈をしたくなる。ありがとう、と言うほど大げさではない。さようなら、と言うほど諦めてもいない。ただ、長いあいだそこにいてくれたことへの、うまく言葉にならない感謝のようなものを胸に抱きながら、しばらく閉じたシャッターを眺めてしまうのである。